その笑顔は、昔と何一つ、
何一つ、変わってはいなかった。
「あ、きりちゃん!」
昼休み、委員会の仕事のため図書室に向かっていた錐理を、廊下の反対側から歩いてきた乱真が呼び止めた。
「何か用か―?」
「あのさ、今日部活が少し長引きそうなんだけど、よかったら先に帰っててもいいよ?」
その時、錐理は初めて、乱真の横にいる人物に気付いた。
「おお、紳次郎!・・・ってことはお前も帰り遅いのか。大変だなぁ」
「大会が近いからね」
そう言って、紳次郎は苦笑する。
「あ、でも俺も今日の放課後に、委員会で本棚整理があるんだよ。もしかしたらそっちよりも遅くなっちまうかも」
「そっか、じゃあ時間が合ったら一緒に帰ろうか!」
「オウ、部活頑張れよ」
「そっちもね!」
互いの健闘を祈る中、紳次郎がふと、
「僕も一緒に帰っていいかな」
と、尋ねてきた。
・・・意外だ、と、錐理は率直に思った。
乱真と紳次郎は、部活は同じ陸上部だが、種目が違うので練習の終了時間が違う。
なので、いつも乱真と一緒に下校している錐理は、紳次郎がまだ練習をしている姿を見かけたり、あるいは既に帰ってしまった後であることが多い。
「ほら、今日はトラック競技は最後に合同ミーティングがあるから・・・」
「あ、そっか!珍しく終わるのが一緒なんだよね!」
「俺は全然オッケーだぜ?」
「じゃあ決まり!とりあえず校門に集合ね」
(はぁ・・・つっかれた・・・)
図書室に入るなり、錐理は大きなため息をついた。
そのまま受付に向かうと、そこには自分と交代になる委員が一人。
「お、来たか」
「うぃーっす、能勢センパイ」
能勢は、図書カードの整理をし終えると、荷物をもって受付席から出てきた。
「じゃあ、後頼むな」
「了解ッスー」
「・・・あ、あと、」
帰り際、能勢は何か思い出したように錐理の方を向いた。
よくよく見ると、眉間に少々皺が寄っている。
「あんまりため息つくなよ、余計に気分が重くなるぞ」
「センパイ・・・」
じゃあな、と呟くように言って扉を開いたその背に向かって、
「さっすが能勢久作センパイ!!!もう、優しいんだからぁ♪」
と、いかにもわざとらしく返した。
直後、ベシャ、と、思いきり廊下に転倒音が響いた。
「その名前で呼ぶなっていってるだろぉ!?」
「あ、サーセン、ついうっか「うっかりじゃなぁぁぁい!!!何度言ったら解るん・・・」
堪忍袋の緒が切れたのか、わざわざ受付まで戻って怒鳴り散らす能勢に、図書室内から冷ややかな視線が投げかけられた。
「センパイ、図書委員が大声出すのは止めましょうよ」
「・・・スマン」
ともあれ、錐理が疲れるのも無理はない。
遥か昔の「記憶」を持つ彼にとって、「彼ら」と接することは精神的に疲労が大きかった。
今の「彼ら」と、昔の「彼ら」。
いったい、どちらと接すればいいのだろう。
何故、皆は覚えていないのだろう。
何故、自分は覚えているのだろう。
忘れたくはない。彼らと過ごしたかけがえのない日々。辛く苦しい出来事さえも、今思えば懐かしさに変わる。
だが、皆は覚えていない。
(・・・先生たちも覚えてねーもんなぁ)
恩人である教科担任も、父のように慕った実技担任も、何も覚えていない。
いっそ別人だと思えたら、どんなに楽だろうか。
だが、
(別人・・・なんかじゃねえ・・・)
ぎゅ、と、拳を握りしめる。
彼らに初めて出会ったときから、自分の中の「何か」が反応している。うまく言い表せない「何か」が。
様変わりしてしまった平和なこの世界で、再び巡り合えた奇跡。
(あーあ、これからずっとこんな気分味わわなきゃならないのかよ・・・)
そんな中で、能勢に出会えたことは、本当に奇跡中の奇跡だった。
同じ宿命を持つ彼の存在に、どれだけ救われたことか。
(一応、これでも感謝してるんですよ?センパイ)
含み笑いを浮かべていると、視界のなかに図書カードが一枚。
「コレ、借ります」
「・・・あ、ハイ、まいど」
「うわー・・・すっかり暗くなっちまった」
委員会終了後、ふと窓の外を見ると、辺りは日が落ち、すっかり暗くなっている。
西の方がかろうじて赤く染まっているが、錐理の帰路は正反対なため、全く意味がない。
「乱真たち待たせちまってるなー・・・」
急いで階段を駆け降り、玄関に向かう。
靴を履きかえ校門に走ると、闇に紛れて二つの影が目に入った。
「あ、来た来た!」
そのうちの一つが、こちらに向かって手を振ってくる。
「お疲れ様〜」
もう片方からは、ねぎらいの言葉。
「悪ィ、遅くなっちまった!」
「全然!こっちもついさっき終わったばかりだし」
「うん、気にしないで」
そう言って、紳次郎が笑う。
(あ、)
重なる。
「彼」の笑顔と。
「じゃ、帰ろっか」
「うん」
「ああ・・・」
帰り道は、いたって普通だった。
互いの部活や委員会の話、今日の土井先生のお説教の話、テレビの話、マンガの話・・・。
本当に、ごく普通の内容だった。
そんな中で、錐理はどこか懐かしさと、苦しさを感じていた。
「・・・あ、もうここまで来ちゃったんだ」
気がつくと、いつも乱真と別れる分岐点に辿り着いていた。
「じゃあ私こっちだから。二人は途中までまだ一緒なんだよね?」
「うん」「え、そーなの?」
予想外の事実に、錐理だけが驚く。
「あれ?きりちゃん知らなかったんだっけ?」
よくよく考えてみれば、錐理と紳次郎は一緒に帰ったことが無い。いくら教室ではよく話すといっても、家の位置までは知らなかった。
「ん?って紳次郎、俺んち知ってんの?」
「うん。だって土井先生と一緒に住んでるんだよね?」
僕、先生の家知ってるからさ、と言われ、ああ、と納得する。
皆も周知だが、錐理と担任の土井は親戚関係にあり、家の事情により、現在錐理は土井の家に居候している。
ならば、土井の家を知る紳次郎が、錐理の帰る方向を知っているのも当然である。
「じゃあ、また明日!」
「「また明日」」
「なーんか、紳次郎と二人で歩くとか、珍しいよな」
「そうだね。教室ではよくしゃべるけど、錐理って基本的に乱真や真平とかといっしょにいるものね」
「そーゆーお前こそ、兵ちゃんとかといつも一緒だろー?」
「そうだった///」
二人で、笑いながら夜道を歩く。
やがて、住宅地を抜け、とある神社の前までやって来た。
錐理がいつも帰りに前を通る、比較的大きな神社である。
と、突然紳次郎が、
「あ、着いた」
と立ち止まった。
「え、ここ紳次郎んち!?」
「うん。あれ、言ってなかったっけ?うちが神社だってこと」
初耳だった。
互いに家庭環境なんて話したことも無かったから(土井との生活ぶりは錐理が勝手にしゃべっていたが)、家の位置を知らなければ、ましてやそこが神社であるなんて知るはずもない。
「じゃあ、ここでお別れか」
「そうだね」
「じゃ、また明「あ、ちょっと待って」
言葉を遮られ、錐理は首をかしげた。
「どうした?」
「あのさ、僕、錐理にどうしても聞きたいことがあるんだけど・・・」
「何だ何だ、内職の相談かー?」
その刹那、
ザアァァ・・・と、神社の奥から、風が吹き抜けた。
・・・懐かしい、匂いがした。
(何・・・だ・・・?)
なにか、胸騒ぎがする。
前にもどこかで感じた、強い胸騒ぎが。
暑くもないのに、背中に汗が一筋流れ落ちる。
目の前の紳次郎は、そんな錐理の様子の変化に何も言わず、ただ、いつものように笑顔を浮かべていた。
「し、紳次郎・・・?」
「あのさ、」
突然、紳次郎の瞳が、真っ直ぐ錐理の瞳をとらえる。
笑顔ではなく、彼には珍しい真剣な表情で、
「お昼休みに、僕、図書室の前を通ったんだけど、
・・・何で、『能勢久司』先輩のことを、『能勢久作』先輩って呼んだの?」
その瞬間、ようやく理解した。
(ああ、そうか、この胸騒ぎは、)
(能勢センパイが、『俺と同じ』だって解った時のと、同じものだ)
「お前、今、何て・・・」
「二回も言わなくても、錐理ならもう理解出来てるでしょ?」
決して嫌味に聞こえない、その言い方。
そうだ、本当は解っている。
ただ、信じられないだけで。
「・・・もっと早く教えてくれても良かったのに。ずっと、は組で僕だけかと思ってた」
それは、自分も同じだ。
刹那、再びあの笑顔が蘇る。
「ね?きり丸」
重なる、重なる
彼の「笑顔」と
「――――――っ三治郎!!!!」
ドサッと、鞄が地に落ちる音がした。
次の瞬間には、紳次郎を抱きしめる、錐理の姿。
いや、
「三治郎」を抱きしめる「きり丸」の姿の方が、正しいのかもしれない。
「何でなんだ?何で俺たちだけなんだ?何で・・・」
「ごめんね、それは僕にも解らないんだ」
紳次郎は、嗚咽を漏らす錐理の背を、そっと撫でる。
「でも、ちゃんと『皆』一緒にいるよ」
「・・・ああ」
あれは、「彼ら」だ。
はっきりとした証拠がなくても、それだけは、紛れもない事実。
「・・・三、いや、紳次郎」
「何?」
「俺たちって・・・こんな、昔のことなんて覚えてて、得なのかな」
いっそ、全て忘れて、ただの「摂津錐理」として生きていけたら。
記憶が蘇ってから、何度そう思っただろう。
「どうなんだろう・・・、僕も最初・・・はっきりと思い出したときは、もちろん戸惑ったりもしたけれど」
楽しい思い出ばかりじゃない。忍として生きた、暗い部分も記憶に残っている。
あの時代は、ここでは普通ではないことが「普通」だった。
「でも、『僕ら』はいつでもつながっている。そう解るのは、僕と錐理の特権だよね?」
「特・・・権?」
「そう、特別なんだよ。『お得』って言えば、錐理も喜ぶかな?」
紳次郎が笑う。
何故だろう。
彼の笑顔を見ていると、ひどく安心する。
「・・・そうだな、『お得』だな」
今までは、自分一人だけ皆と違う、心のどこかでそう考え、一線を引いていた。
けれど、センパイと出会って、
そして、今、紳次郎と「出会っ」て、
何か、本当に、「生まれ変わった」感覚に抱かれた気がした。
(辛いだけじゃないんだ)
俺たちは、いつでも一緒。
その事を認識できる自分は、幸せ者なんだ。
・・・以上、は組記憶持ち組のお話でした。
実は、転生パラレル考え始めた頃から、この二人に記憶を持たせようと決めていました。
イメージテーマは、「見透かす者」と「葛藤する者」。
他学年の記憶持ちの方々も、持たせたからにはいちおー理由があるのですが・・・
徐々に書いていければ・・・絵でも文章でも。